薔薇の咲く頃に

「やあ。よく来たね、達哉君」
 五月も半ばを過ぎた、暖かな午後。青年が郊外に建つその家――邸宅、と言った方がいいだろうか――の玄関扉を開けようとしたとき、庭の方から声が聞こえた。
「あ、伯父さん。こんにちは、今日もお世話になります」
「いやいや、いつものことなのにかしこまらなくてもいいじゃないか。ささ、中に入りなさい」
 青年の会釈に、その男性は朗らかに笑った。豊かな灰色の髪に灰色の口ひげ。まさに「初老の紳士」といったところだろう。大きめのその手には移植ごて。エプロンも土で汚れている。
「また庭いじりですか?」
「ああ、これかい? そうなんだよ、やっぱり日々の手入れが肝心だからね。‥‥こんなに汚れてしまって、また家内に怒られるな」
 そう言ってまた笑う。‥‥庭いじりをしているときほど、伯父が楽しそうなときはない。達哉は常々そう思っているが、やはりその感想は正しそうだ。
「そうそう、今は薔薇の一番花がきれいに咲いてるんだ。せっかくだから先に見に来なさい」
 やれやれ。相変わらず趣味のことになると妙に高揚する伯父に少々あきれつつ、青年はその後ろに続いて庭――家が「邸宅」ならば、これは「庭園」だろう――へと向かう。あたりの木々は丁寧に剪定され、それでいて伸びやかに陽光を浴びている。本当に美しい庭だ――達哉は伯父の家を訪れるたびに感心する。管理者のセンスと愛情がいかに細やかなのか、園芸に関しては素人の彼にも分かろうというものだ。
 だがその美しさも、ある一角と比べればどうしても薄らいでしまう。この庭の白眉、伯父の愛情を一身に受けた薔薇園だ。
 ――見事、というほかなかった。種々様々の薔薇が咲き誇り、美しさを競い合っている。大輪の貴婦人たちが満ちあふれ、さながらどこかの宮廷舞踏会だ。
「今年は天候も良くてね、我ながら見事なものだと思っているんだ」
 ‥‥さあ来るぞ、と達哉は覚悟した。確かに薔薇は見事なのだが、ここまで来てしまうと絶対に逃れられないものがある。それは伯父の講釈だ。ひとつひとつの品種名、その由来、栽培の苦労、などなど。柔和で温厚、誠実‥‥人間としても医師としても賞賛されるこの伯父に何か問題があるとすれば、それは趣味のことになると周りのことが全く目に入らなくなる点だろう。達哉がどう見ても話を理解していない様子であっても、そんなことには頓着せず、薔薇園を巡りながらひたすらに解説する。と、唐突にその足が止まる。惰性で後ろに続いていた達哉は、思わず伯父にぶつかりそうになった。
 そこには、花を付けていない薔薇が一株、寂しげに植わっていた。
「‥‥これは――《アルラウネ》。ごく最近開発された品種でね、系統としてはハイブリッド・ティー系、少し紫がかった深い色の見事な花が咲くんだ。実はこれを持っているのは日本でも本当に数えるほどしかいなくて、私の自慢ではあるんだけど‥‥問題は‥‥まあ見れば分かると思うんだが、栽培が難しいんだ。実際、日本ではまだ誰も花を咲かせてない。一番乗りを目指してるんだけどね‥‥」
 あまり元気そうとは言えないその株を見ながら、ため息をつく。
「っと、うっかりしてたね、まだ家に上がってなかったか。薔薇のことになると自分でも止められないんだ。悪かった」
 ため息のせいで正気に戻ったのか、初老の薔薇マニアは思わず苦笑した。

* * * * *

 達哉は、この伯父の手伝いをしている。――達哉の両親は、彼が大学に入ってまもなく、交通事故で世を去った。そんな達哉に援助の手をさしのべたのが、伯父・山崎義和だった。伯父は開業医を営む傍ら、医学者として大学にも非常勤で勤務している。彼は甥の学費を負担した上に、自分の事務手伝いとして達哉を雇ったのだ。それは経済面の援助であると同時に、精神面の援助でもあった。それもあって、生活と気持ちが落ち着いてからも達哉は頻繁に伯父を訪れている。だが、それだけが理由ではなかった。
「いらっしゃい、達哉くん。ゆっくりしていってね」
「おじゃましています、伯母さん」
 居間で談笑中の二人に、甘く優雅な声が掛けられた。ドアの方を振り向くと、三十路前後の女がティーポットを持って来た。義和の妻、藍華(あいか)だ。数年前に後妻としてこの家にやってきたのだが、財産目当てだ何だと陰湿な視線にさらされてきたことは達哉も知っていた。が、確かにそう言われても仕方のない年齢差かもしれない。
 藍華は三人分の紅茶を入れると、義和の隣に腰掛けた。伯父夫婦と甥の――むしろ義理の親子の、憩いのひととき。
 だが達哉は、この若妻と伯父とが同席するのはあまり好きではなかった。伯父が妻と楽しげに話している様は、彼の本心として、あまり嬉しくなかった。嫉妬だった。甥という立場をはみ出た、よこしまな心‥‥それは彼も重々承知している。伯母の――いや、藍華の甘い声。すっきりと整った華やかな美貌。時折見せる、ぞくりとするほど妖艶な目。衣服越しにも分かる、むっちりと起伏に富んだ肉体。女の香り。そういったものに近づきたくて、彼はこの夫婦と懇意にするようになってしまっていた。邪恋だった。
 だが、その邪恋を叶えてしまうほど、彼は大胆不敵な男ではなかった。伯父の恩はやはり大きかったし、それに対して仇で報いるほど恩知らずではなかった。だから藍華に積極的に近づくことはしなかったし、ここを訪れるのも、義和の手伝いという名目をはみ出るほどの頻度にはしなかった。二人きりになれればいいのに、などとかすかな期待だけを胸に秘めて。

* * *

 その期待は、唐突に叶えられた。
 雑談は例によって園芸に及び、そして例によって義和の独演会の様相を帯びてきた。藍華はあからさまに退屈そうな顔でちらりちらりと達哉を見やり、そして長い脚をさりげなく組み替える。達哉は相づちを適当に打ちつつ、伯母の振る舞いを注視しないよう気をつけた。もっとも、注視していても伯父は気づくまいと思われたが。
 講演は接ぎ木の話から始まって、品種改良の蘊蓄に逸れ、一旦もとにもどって、そこから病害虫の防除へと発展し――
「そうだ、殺菌剤を切らしていたんだ! ‥‥すまん、ちょっと買いに行ってくる。最近物忘れが激しいんだ、今行っておかないとまた忘れる羽目になるからね。――達哉君、お願いしたいものは私の仕事机の向かって左側、キャビネットの上に積んである。悪いけど、先に手を付けておいてくれないかな。私の用事は一時間ぐらい掛かりそうなんでね」
 がたんと音を立てそうな勢いでソファから突然立ち上がり、早口でそうまくし立てると、あっけにとられる二人を置いてそそくさと居間をあとにした。
「‥‥」
「‥‥ごめんなさいね、いつもあの調子で‥‥」
 あまりの唐突さに、達哉はしばし呆然とドアを見ていた。彼のあごにもう少し締まりがなければ、それこそぽかんと口を開けて間抜け面を作っていたことだろう。藍華も同様だったのだが、さすがに妻として多少は慣れているのか、立ち直るのはこちらが早かった。そして――思いも寄らない言葉を口にした。
「‥‥二人っきりね」
 甘い、声。ぞくんっ、と背筋に電流が走る。藍華はゆらりと立ち上がると、達哉の右隣に腰を下ろした。
「‥‥ふふ‥‥見てたわ‥‥。私の方ばかり気にしていたでしょう‥‥?」
 甥の太ももに左手を置き、耳元で囁く。ゆるくウェーブのかかった髪が、しっとりとした香りを放つ。
 いつも望んでいたことなのに、しかも相手の方から行動を起こしたというのに、達哉は混乱していた。脳が空回りして湯気を上げている。そしてその空回りに、藍華はますます拍車を掛けてゆく。
「‥‥そ、そんなこと‥‥」
「そう‥‥じゃあ、これは何‥‥?」
 しなだれかかり、耳朶にキスを。熱い吐息を首筋に吹きかけ、豊かな胸を腕に押しつける。そして、繊細な指先が股間にまとわりつき――その硬さを際だたせてゆく。理性がじりじりと追いやられてゆく。達哉が困惑しつつも欲情の炎をたぎらせていることを知り尽くしているのだろう、藍華は一層淫らな響きの声で甥を誘惑する。甘い言葉に唾の音を交えながら、若い男の身体に絡みついてゆく。柔らかく、だがまだまだしっかりと張りのある乳房をむりやりに揉ませ、達哉の首筋に唾液の筋が残るほどの口づけを‥‥。
「‥‥お、伯母さん‥‥そんな‥‥」
「まだ若いつもりなのに、おばさんなんて言わないで‥‥。藍華、って呼んでよ‥‥んっ‥‥んん‥‥」
 ぴちゃ、くちゅっ‥‥。ついに唇が重なり合い、先ほどまで夫がいた空間に淫らな音を響かせる。唇を離し、互いに熱情に浮かされた視線を交わし――
「‥‥藍華さん‥‥!」
「‥‥来て、達哉‥‥。‥‥んはぁっ‥‥!」
 理性が、ついに決壊した。歪んだ、いや、むしろ本能のままの想いが奔流となって荒れ狂い、藍華をソファに押し倒す。細い腰を強く抱き、そして唇を重ね、舌を絡め、互いに身体をまさぐり合う。女の指先が達哉の背筋を這い、男の指は女の乳房に食い込んだ。白い身体をくねらせ、女は年下の男になめらかな肌を押しつける。
「はぁ‥‥ん‥‥。あんっ‥‥ふふ‥‥楽しみましょ‥‥。あの人のことなんて、気にしなくて‥‥いいのよ‥‥。あ、あぁ‥‥。どうせあの人‥‥薔薇と仕事以外なんてどうでもいいんだから‥‥んっ、はむ‥‥ん‥‥ぁん‥‥っ」
 甥への免罪符のつもりなのだろうか、夫への不満を漏らす。そしてまたしても熱い口づけ。着衣を上へずり上げると、ぷるん、と柔らかな乳房が溢れる。しっとりとなめらかな、吸い付くような肌を味わいながら、達哉は一層強く唇を、女の肌を求め――

 バタン!
 唐突に、あまりに唐突にドアの音がした。同時に、獣欲に身をゆだねていた男女が凍る。だが音は遠い――居間のドアではない。そして足音――反射的に二人は起き上がり、ドアの方へ意識を向けながらも素早く着衣を整えた。藍華はテーブルを片付けていたかのように無言で振る舞う。それにつられて、達哉もこれから仕事に向かおうとしていたかのように立ち上がり――足音が早々と近づき、そして勢い良くドアが開いた。
「いやぁ、まいったまいった。なんだ、念のために確認したらまだ予備が残ってるじゃないか。私もいよいよぼけてきたのかな」
 わっはっは、と豪快に笑いながら二人の秘め事をぶちこわしにしたのは、もちろん義和だった。

* * * * *

 それは二人――甥と伯母――にとって、あるいは些細な出来事だったかも知れない。行為は結局のところ未遂に終わり、それ以後も何事も起きなかった。伯父は相変わらず優しく、相変わらず園芸マニアだったし、伯母は相変わらず優雅で、美しかった。だが、あの時の胸の高鳴りと欲望にたぎったひとときは、達哉の胸に深く突き刺さっていた。そしてやはり、罪悪感もあった。その後二度ほど例のごとく事務手伝いに伯父の家を訪ねたものの、やはり伯母を正視できなかった。そのことを自覚してしまったからだろうか、彼はいつしか伯父夫婦と少しずつ距離を置くようになっていった。たまには遊びに来いという誘いにも、忙しいといって先延ばしにするようになった。――とはいえ、半年も経つ頃には心も少し落ち着きを取り戻し、月に一回程度訪れるようになってきたのだが。
 伯父の元を訪れれば、また心の均衡が崩れてしまうかも知れない――そんな思いは確かにあった。だが、それは杞憂だった。彼が訪問するときには、藍華がいなかったからだ。最初の二回ほどはそれを残念に思い、その一方でほっとした。三度目、四度目も不在だったときは、伯母も気を遣って顔を合わせないようにしているのかと考えるようになった。
 五度目の訪問でも、伯母はいなかった。事務処理の合間に、達哉はさりげなく切り出した。
「あの‥‥伯父さん。最近伯母さんはどうされてるんですか? 実はもう長いこと会ってないんです」
「ああ、家内か。外出中だが、また遊びに行ってるんだろう。私と違って友達も多いようだしね」
 論文雑誌に目を通しながら、義和はそう言って苦笑する。かと思うと、すぐに顔を雑誌に戻し、真剣な顔で文章を追ってゆく。達哉はそのとき、それ以上訊くことはできなかった。

 それから一月ほど経った頃、達哉はまた伯父の家を訪ねた。あの秘密の未遂事件があってから、もう一年が経つだろうか。あの日と同じ、穏やかな午後だった。
「やあ、達哉君。来てくれたか」
 玄関扉を開けようとしたとき、庭の方から声が聞こえた。
「あ、伯父さん。こんにちは、今日もお世話になります」
「君もあいかわらず堅い物言いをするね、遠慮することはないのに。ささ、入りなさい」
 汚れたエプロンをぞんざいにたたみ、軍手と一緒にそれを棚に片付けると、義和はいつもの穏やかな笑みで招く。軽く会釈をし、達哉は玄関へと足を進めた。

 今日も、伯母はいなかった。
 代わりに義和自身が紅茶を入れ、なにやら高級そうな洋菓子を皿に乗せて運んできた。そしていつものように雑談を交わす――というのは一般的な表現を用いてのことであって、実情は例によって例のごとく伯父の講演である。変わり者のストレス解消につきあうつもりで、達哉も普段はそれにある程度注意を傾けているのだが――先月に続き今月も、達哉はどうしてもこらえきれなくなった。話が一段落したと思われるところで、尋ねた。
「‥‥あの‥‥今日も伯母さんはいらっしゃらないんですか?」
「家内が普段どうしているのかなんて知らないよ、保護者じゃあるまいし」
 珍しく不快をにじませた声で答える。
「すいません。でももう半年以上――いや、一年近くお会いしてないんです。それで‥‥」
「‥‥やれやれ、あれにも困ったものだな」
 苦笑しつつ、紅茶をすする。と、やおら顔を上げ、
「そうだそうだ、忘れていた」
 伯母の行き先だろうか――達哉がそう思いかけたとたん、
「見せたいものがあったんだ。ついてきなさい」
 がくり、と内心達哉は崩れた。伯父が見せたいものがあるといえば、それは庭木に決まっている。今の季節なら薔薇だ。まあ、これも伯父なりの話題転換なのだろう――落胆しつつもそう考え、残りの紅茶を飲み干して、伯父の後に続いた。

 薔薇園は今年も見事だった。咲き誇る薔薇、薔薇‥‥。だが、今日は一つ一つの解説はなく、義和の足はまっすぐ一箇所へ向かっていった。
 美事な薔薇だった。
 やや紫がかった、きめ細かいビロードを思わせる花弁が幾重にも重なっていた。その色は吸い込まれそうなほど深く、厚手の花弁の重なりが描く曲線は植物という枠を超えて妖艶だ。
「どうだい、すごいだろう。たしか以前説明したね、《アルラウネ》という品種だ。日本で咲かせたのは私が最初なんだよ。海外の品評会で見たことはあるが、これはそれを超えるほど美しい――ひいき目ではなく、私は心底そう思っているんだ。こんな美しい薔薇はこの世に一つしかない。私だけが持っている、世界最高の薔薇だ。そう、私だけのね」
 いつになく高揚した声で、伯父はうっとりとしながら自慢する。その自慢は半ば常軌を逸しており、彼を「薔薇マニア」呼ばわりするのは失礼なものであるかに感じられた。むしろ「薔薇狂い」だろう。
「薔薇はいい‥‥。手を掛ければ掛けるだけ、かならず良くなる。こちらの愛情に必ず答えてくれる。《アルラウネ》は、世界一の花を咲かせることで私の愛情に答えてくれたんだ。つまり私の薔薇への愛情は世界一だと言うことだよ。こんな名誉なことはない。そうとも、手を掛けようと、愛情を注ごうと、気ままに振る舞う人間なんかと比べものになるものか」
 伯父の口は止まらない。薔薇を見つめたまま視線は動かず、瞬きさえしない。柔和な表情は、一見いつもと同じのように見える。だが、何かがおかしい――そんな印象を抱かせる、奇妙な微笑。
「私が愛しても、愛しても、あれは気にもとめない。気づきもしない。私が知らないとでも思っていたのだろうか。浅はかな女だ。藍華だよ、あの淫乱な雌狐――。君も手を出したんだ、いや、出されたのか。知らないとは言わせないよ。‥‥正直に言って、君ならまだ良かったんだ」
 薔薇を見つめたまま、笑顔を貼り付けたまま。伯父は変わらぬ調子で続ける。
「私も年だ、もう頑張るのは無理なんだよ。それは分かっている。だが、あれはそれを思いやることなんて思いつきもしない――そういう女だったんだ。私の留守には若い男を引きずり込み、思うさま楽しんでいたよ。そうとも、それならまだ、素性の知れた君の方がいくらかマシだったんだ」
「‥‥財産目当ての後妻だと言われていても、私は藍華をかばったよ。むしろそういう中傷が当たっていても、私は別に構わなかった。藍華が、たとえお義理であっても私の想いに応えてくれるなら、それで十分だったんだ。‥‥それさえ期待できない女だとは思いもしなかった‥‥!」
「わかるかい、わかるだろう。あれに比べれば薔薇の方が何千倍も、いや、比較することさえ無意味なほど誠実なんだ。それでも――それでも、私は藍華に惹かれていたんだ。愚かなことだ。上っ面だけの美貌に私は籠絡されていたんだ。今もだよ。だから私は、あれを私の元に引き留めたかった。誰とも知れない男たちに、妻の身体を好きにされるのが耐えられなかった」
 表情も声も、変わらない。変わらないが故に一層空恐ろしさが募る。
「‥‥伯父さん‥‥まさか‥‥」
 舌が乾く、喉が渇く。
「私は考えたんだ。どうすれば藍華を本当に自分のものにできるのか。君のものでもなく、他のだれかのものでもなく、私のものにするにはどうすればいいのか。なんだ達哉君、何を心配してるんだ。‥‥殺してしまってはだめだよ、この世から消えてしまう。この世に留まり、私の愛情に応えて欲しかったんだ。――そして、応えてくれた。あの藍華が、淫乱で、思いやりのかけらさえないあの売女が、私に応えてくれた」
「君はこの前から藍華を気にしていたね。目の前にいるじゃないか。ほら、ここに。世界一の薔薇になって、私に微笑んでくれているじゃないか」
 そう言って、義和は達哉に微笑みかけた。会心の笑顔だった。嫉妬に狂った、狂気の笑顔だった。
「‥‥でも藍華はまだ寂しがっているんだ。相変わらずの男好きだよ、困ったことだ。そこでね、君にお願いがあるんだ。私が藍華の元に行くまで、あれの相手をしてやってくれないか。嫌じゃないだろう、ほら、こっちに来なさい。どうしたんだ、早くこっちに来なさい。大丈夫、藍華のときと同じだよ、怖くなんてないとも‥‥!」
 ずっと薔薇の方を向いていた体が、達哉の方へと向き直る。その手には――注射器が握られていた。達哉はじり、じり、と後退する。だが義和は微笑を浮かべたまま、無造作に近寄ってくる。生命の危険が目の前に迫っていることに脳が全力で警報を鳴らし、達哉は一目散に走り出そうとした。しかし――
「うわっ! っく、くそっ! 来ないで伯父さん、く、来るなっ!!」
 足がもつれたのか、それとも薔薇に引っかかったのか、後ろへ振り向こうとしたとたんに彼は倒れた。薔薇の刺が引っかかったのか、足や腕にも抵抗がかかり、容易に抜け出せない。恐怖に見開かれた視界に、手が、注射器が迫ってくる。
「ああ、うわぁああっ!!!」
「おとなしくしなさい、みっともない――うぅっ!!」
 暴れる甥を押さえ込もうとするが、しかし体力はやはり比べようもない。抵抗する腕を押さえかね、ひるんだ瞬間‥‥達哉の指が義和の顔をひっかいた。生命の危機に際して手加減などしようはずもない――その顔から、幾筋かの血が流れた。その血が、ぽたりぽたりと落ちる。地面に、達哉に、薔薇に。
「ぐあああっ、あああっ、貴様、ぁぁあっ!! 妻を寝取ったばかりか、大恩ある私にけがをさせるのかぁあああ!! このクズが、畜生がっ!!」
 傷を押さえ、罵声をまき散らすその男は、もう柔和な初老の紳士などではなかった。伯父でさえなかった。わめき散らしながらも、もう一度注射器を手に達哉に襲いかかる。一気に針先が迫り、首筋に突き立つ――その寸前に、止まった。
「なっ――これは‥‥っ!?」
 義和は違和感に驚き、自らの手首を見た。信じられない事が起きていた――《アルラウネ》から、蔓が伸びていた。その蔓は義和の手首に巻き付き、締め上げている。
「何だというんだ、これは――!? っく、馬鹿な、こんな馬鹿なことが‥‥!!」
 蔓は一本ではなかった。何本もの蔓が素早く這い寄ったかと思うと、ふりほどこうとする腕に絡みつき、足に絡みつく。棘が突き刺さり、服に紅いシミが何箇所も広がってゆく。
 達哉は呆然と見るほかなかった。《アルラウネ》から無数の蔓が伸び、凄まじい勢いで義和に絡みついてゆく。地面の下からさえも大量の蔓が伸び、のたうちながら絡みついてゆく。薔薇はもう、薔薇ではなくなっていた。無数の蔓が、葉が、花が、絡まり合い、膨らみ、別のものへと変貌していた。
「やめろ、やめ‥‥てくれ‥‥!! ひぎぃいっ! あが、ぎひっ‥‥!! あ、あい、か‥‥!!」
 苦痛に満ちた声が漏れ――その一言が絞り出されたとき、ようやく達哉は目の前のものが何の姿なのかを理解した。人間の――女。かつて彼が欲望を抱いた女、藍華だった。彼を誘惑したときと寸分違わぬ美貌と肢体――だが、その姿は人間などではなくなっていた。白磁のような肌はわずかに緑色を帯び、髪は紫がかった深紅――それだけでもう、人間ではないと判断するに十分だ。だがその手足はもっとひどいことになっていた。手は、あの繊細な指先ではなくなっていた。脚も膝のあたりより下は変わり果てていた。どちらも無数の蔓が絡まり、より合わさり、手や足の形を作っているに過ぎなかった。薔薇の、化け物だった。
 その薔薇の化け物は、手足から伸びる触手のような蔓でかつての夫を絡め取り、締め上げ‥‥その姿はもう見えなくなっている。蔓に埋もれ、顔さえも見えない。
「うふふ‥‥久しぶりね、達哉くん‥‥」
 甘く、妖艶な声。あの日を思わせる、淫らな声。――だが、何かが違った。何かもっと本質的なところで、別のものの声だった。
「お‥‥伯母さん‥‥ですか‥‥? それは‥‥その姿は‥‥一体‥‥!?」
「いやだわ‥‥藍華、って呼んで‥‥ふふふ‥‥。分かってるくせに‥‥。さっきこの人が言ってたじゃないの‥‥」
 ついっ、と冷たい視線を義和――だったものに向ける。蔓の塊はもう動いていない。ぐしゅ、ぐぢゅ、と気味の悪い音が漏れ、地面には紅い水たまりが広がっている。
「‥‥そこに転がってる注射を打たれて、埋められたの‥‥ここにね。あとはもう‥‥言わなくても‥‥ね?」
 くすくすと笑う。ぞっとするほど妖艶な笑み。愛憎の末の、勝者の笑みなのだろうか。
「‥‥私の気持ちを知りもせずに、確かめようともせずに‥‥臆病で、卑怯な男‥‥。好きな薔薇に食い殺されるのよ、本望でしょう‥‥? ふふ、ふふふふふ‥‥!」
 冷たく、残酷な、そしてわずかに悲しみを交えた笑い。くぐもった含み笑いが徐々に高笑いに変わってゆく。同時に、その声も、表情も、ますます残虐に、そして妖艶に、淫らになってゆく。笑いながら、徐々に蔓をほどいてゆく。蔓の塊はみるみるうちに小さくなり、そして――ついに、その「芯」が崩れ落ちた。紅い水たまりに、ぱしゃりと小さな音を立てて。真っ赤に染まったぼろ雑巾――それは義和が着ていた服に少し似ていた。
「ひっ‥‥お‥‥伯父さん‥‥!?」
 いまだ薔薇に絡まり尻餅をついたまま、達哉は小さな悲鳴を上げた。
「あぁら‥‥あなたを殺そうとした男なのに、まだ『伯父さん』なんて言うのね‥‥ふふ‥‥。かわいいわ、達哉くん‥‥私が慰めてあげる‥‥」
 血だまりには一顧も与えず、ざわざわと蔓をうごめかせて近づく。逃げだそうにも、薔薇の蔓や棘が服の繊維に絡まってしまっている。――もっとも、たとえこの薔薇から逃れられても、達哉は藍華だったものから逃れることはできなかっただろう。ざわざわと蔓が近づく。それは藍華の方からだけではなく、四方八方から彼へ向かって這い寄ってくる。満足に動かせない手足に、蔓が蛇のように絡みついてゆく。だが、不思議に棘の痛みは感じない。手首・足首から衣服の下へと入り込み、彼の肌の上をくねくねと這いまわり、絡みつく。何本もの蔓が絡みつき、全く身動きができなくなった頃――周りの薔薇に異変が起きた。まるで意志があるかのように動き、達哉の体を解放しようとするかのように揺れ、そして服に刺さっていた鋭い棘が縮み、繊維から抜けてゆく。同時に、彼の体は宙に持ち上げられ、一気に藍華の元へと運ばれていった。
 藍華は微笑んだ。その美貌は全く変わっていない――いや、さらに美しくなっていた。恐怖に駆られながらも、達哉はあの日を思い出していた。あの甘い香り、脳がしびれるような声、柔らかな胸、細くくびれた腰。絡み合い、押し倒し、口づけを何度も交わして――。彼があのとき征服しそこねた身体が、そこにあった。だが、体を這い回る蔓の感触が、そのほろ苦くも甘美な思い出に浸ることを許さない。
「達哉‥‥そんなに怖がらなくていいのよ‥‥? あの日の続き、楽しみましょう‥‥」
 そう囁くと、藍華は達哉を抱き寄せ、唇を――だが、達哉はそれを拒む。確かにあこがれの伯母だった。だが、そのあこがれも消えてしまった。彼が知っている伯母は、たとえそれが演技であったとしても、上品で、優雅で、それでいて妖艶な「人間」だった。まかり間違っても、手足の代わりに蔓がざわめいているような化け物ではなかった。
「‥‥あら‥‥? ふふふ‥‥そう、拒むの‥‥。でも、いつまで拒んでいられるかしらね‥‥? くくっ‥‥ふふふふ‥‥」
 不気味に嗤うと、一旦達哉を離した。蔓で宙づりにしたまま、その様子を眺めて薄ら笑いを浮かべている。
 ざわり。
 蔓がうごめく。着衣の下で、肌の上を直接に這う。それは――不思議なほど、不快感を感じさせなかった。ざわり、するり‥‥細い指のような、繊細な感触。首筋、背中、腰。内もも、脇腹、乳首。何本もの触手が、自在に這い回る。あたかも何人もの女に愛撫されているような――おぞましいはずの感触をそう感じてしまった瞬間、思わず彼は呻いた。
「ふふっ、どうしたの‥‥? 気持ちいいの? だめ、もっともっと感じさせてあげる。私を拒んだお仕置きよ、達哉‥‥」
 冷たく、楽しそうに笑いながら、一層愛撫を強めてゆく。蔓には時折わずかな棘が生え、達哉の皮膚を苛む。だが、傷を付けることはない。絶妙の強さでひっかき、つつき、絡みつく。
「っく、うぁ‥‥っ、伯母さ‥‥ん‥‥、やめ――くあぁあっ、うぅ、ぅぅ‥‥っ!!」
「藍華って呼んで‥‥何度言わせるの? ふふふっ‥‥」
「あ、藍華さ‥‥ん‥‥! や、やめ、ゆるし‥‥ひぃぃっ‥‥!」
「くく、くくくっ‥‥だぁめ‥‥まだよ、まだ許してあげない。でも‥‥」
 そこで言葉を切ると、またするすると達哉を抱き寄せ、鼻がぶつかりそうなまでに近づき――
「あなたが私を求めるなら、生殺しは許してあげる。‥‥どう? あの日の続き、したいでしょう‥‥?」
「‥‥」
 顔に様々な表情が浮かぶ。恐怖、困惑、嫌悪‥‥だが、それは藍華が望む表情ではなかった。
「――そう、もう少し悶えなさい」
 言うやいなや、蔓が動きを取り戻す。達哉の体を隙間なく這い回り、愛撫し、苛んでゆく。そして――今まで故意に触れなかった部分に、ついに蔓が絡みついた。そう、本人の意志にかかわらず張り詰めてしまった股間の肉棒だ。何本もの蔓が絡みつく。巻き付き、ほどけ、擦り寄り、撫でてゆく。カリの周りを這い、裏筋をするすると滑り、蔓の先端が鈴口を優しくつつき、撫でる。先走りの滴をすくい取り、亀頭に、竿に塗りつけてゆく。十指で愛撫されるよりもはるかに繊細な、丁寧な刺激。
「ふふ‥‥いい顔になってきたわ‥‥」
「あ、ぁぁっ、っく、ううっ‥‥! はぁっ、ぁ‥‥――んんんっ!! んう、う‥‥」
 ついに唇が重なり合った。一年ぶりの、キス。
 あの日と、同じだった。
 柔らかい唇、香しい肌。背中には細い指が絡みつき、柔らかい乳房が胸に押しつけられる。鼻から抜ける甘い吐息、絡み合う舌。美貌も、味も、香りも、何もかも同じだった――背徳的な欲望のままに貪り合った、あの日のキスと。
 達哉は、そう感じてしまった。もう――終わりだった。
 何が同じだというのか。背中を這い回っているのはうごめく蔓だ。あの日の藍華も香水を付けてはいたが、それは薔薇の香りだったろうか。きめ細かな肌も、こんなに病的に白かっただろうか。だが、もう達哉には区別が付かなくなっていた。間断なく与えられる愛撫、そして濃密な薔薇の香り――いや、瘴気によって、理性が狂い始めていた。‥‥そして何より、彼自身がこの期に及んで藍華への想いを残していたのが致命的だった。
「んん、んうぅ‥‥はぁ‥‥っ‥‥藍華さん‥‥ああ、っく、はぁ‥‥っ」
 積極的に舌を絡め、宙づりにされ動けないながらもその肌を抱きしめようともがく。その様に満足げな笑みを浮かべると、妖女は男を抱き寄せ、抱きしめた。柔らかく大きな乳房が形を変え、むっちりと押しつけられる。そして、達哉の衣服に異変が起きた。背中、腕、脚の背面に内側から蔓が浮かび上がり、生地の隙間から無数の棘が突き出す。それはしばらく突っ張っていたかと思うと――
 バリィッ!! バリバリ、ブチッ!!
 驚くほどの音を立て、服が爆ぜた。ジーンズさえもズタズタに破れ、裂けた。布きれになった衣服はばさばさと落ち、そして全身を蔓に絡め取られた達哉の体が露わになった。
「あぁん‥‥達哉ぁ‥‥。ずっと楽しみにしてたのよ、あなたとこうすること‥‥。もっと早くに食べてあげたかったわ、待たせてごめんなさいね‥‥んんっ‥‥んふぅ‥‥。素敵な顔、素敵な体‥‥素敵なあそこ‥‥ふふ、私好みよ、本当に‥‥」
 白く滑らかな肌をくねらせ、全身で絡みつく。胸板に触れ、乳房が形を変える。そのたびに色づいた先端は硬くなってゆく。そのしなやかで柔らかい身体を達哉は抱きしめた。唇を何度も重ね、ついばみ、舌を絡めながら。藍華は蔓で情人の身体を一層強く抱きしめ、妖しい瞳で見つめる。そして囁く――あの日と同じ言葉を。
「‥‥達哉‥‥来て‥‥」
 その言葉の威力は強烈だった。野獣と化した達哉は、全身を絡め取られながらも藍華を押し倒そうともがく。その衝動を叶えてやるべく妖花は蔓をゆるめ、腕を達哉の首に回しながらゆっくりと押し倒され‥‥周りの薔薇たちはそれを受け、瞬時に美しいベッドを織りなして二人を迎えた。
「藍華さん‥‥藍華さん‥‥!」
 うわごとのように女の名を呼びながら、その全身を愛撫する。みずみずしくつややかな唇、ほっそりと白い首筋、豊かな、それでいて全く垂れていない乳房、そして見事にくびれた腰。吸い付くほどに滑らかな肌を指で、手のひらでなぞり、しっかりと肉の詰まった張りのある尻を揉む。
「あぁ‥‥ん‥‥はぁ‥‥、っ‥‥そう、そうよ‥‥うまいわ‥‥。っ、あ、ん‥‥ふふふ‥‥」
 その愛撫に、藍華はどろりと甘い声を漏らす。ずるり、ぞわりと蔓がざわめく。貪るように女体をなぞり、舐め、甘噛みする男の背中を蔓はするすると這い回り、腹に張り付きそうなまでに硬直した男根にまたしても絡みつく。蔓の一本一本が締め上げ、しごき、なぞり――それは、指でもなければ舌でもない、人間では到底味わわせることのできない感覚だった。その感触をこらえようとすると、どうしてもそれが表情に浮かんでしまう。それを見て、妖女は声もなく笑う。
「はぁ‥‥ん‥‥。ねぇ、達哉‥‥そろそろ‥‥抱いて‥‥。ふふ、あなたの今にも暴発しそうなのを、私の奥に、ね‥‥ふふ、ふふふ‥‥ほら、早く‥‥」
 理性の光を失った目が、ぎらぎらと欲望を湛えて妖女を見る。がばっ、と白い身体に覆い被さり――自ら肉棒を挿入する必要はなかった。無数の蔓がその器官に巻き付き、蜜を湛えて待ち受ける裂け目へと的確に誘導し――
「んあああっはぁああっ!!」
「――っくぁ、あ、ぐぅううっ!!」
 伸びやかな嬌声と、息が詰まるような呻き。
「あ、ぁ、いい、いいわ‥‥あはぁっ、はぁん‥‥予想以上よ、達哉‥‥! ‥‥あら、どうしたの‥‥? ふふふ、そう、気持ちよすぎるの‥‥くくっ、くくく‥‥だめよ、もっと感じて‥‥」
 快楽に溺れる笑みを浮かべながらも、邪悪な含み笑いを漏らす。そして半ばから蔓の束に変わっている腕で一層強く絡みつき、その首筋にキスを。
「ぅぅっ‥‥! っぐ、ぁぁっ、あい、か、さん‥‥!」
 ほとんど苦悶そのものの顔、声。肉棒をくわえ込む蜜壺の感触は、それほどまでに凄まじく、貪欲だった。ぐじゅり、ぐちゅりとうごめき、熱い蜜が湧き出る。襞の一枚一枚、起伏のすべてがすがりつき、くわえ込み、引きずり込もうとする。
「はぁあ、ぁぁんっ、そう、そうよ、突いて‥‥! いいわ、本当に‥‥! あはぁぅ‥‥んぅ‥‥ずいぶ、ん‥‥我慢するじゃない‥‥いいのよ、そんなに堪えなくても‥‥。ふふ、イって‥‥。イきなさい‥‥!!」
「あ゙、あ゙ぁあっ!! ぐ‥‥ひぐぅ‥‥っ! うぁぁあっ!!」
「あはぁぁああんっ!! いい、いいわ、熱い‥‥!! 出して、ほら、もっと‥‥!!」
 妖花が絶頂を命じると同時に、達哉の身体が痙攣した。苦悶の咆吼、艶やかな淫声。女の声はますます高揚し、毒々しいまでの甘さをまき散らす。毒に当てられ萎えることのできないペニスが、藍華を何度も貫き、命を吐いて痙攣する。
 彼女は薔薇などという生やさしいものではなかった。食虫、いや食精植物だった。ありきたりの「名器」などという言葉では形容できないほどの刺激と快楽を、秘裂を貫く器官に刻み込む。犠牲者の精液、生命力を根こそぎ奪うかのような動きと締め付けが襲う。動けば快楽と引き替えに命がすり減ってゆく。生存本能は恐れおののいていたが、肉欲はそんな警報に気づこうともしない。がむしゃらに腰を突き込み、柔肌を全身で味わおうとする。
「あぁんっ、最高、最高よ、達哉ぁ‥‥っ!! はぁっ、んぁあっ、すごい‥‥わ‥‥! カタくて、太くて‥‥奥まで、んぅっ!! ザーメン出して、ほら、ぁあぁっ!!」
 蔓がますます絡みついてゆく。首、胸、腰、脚‥‥身動きできないほどの強さで締め上げてゆく。蔓に小さな棘が生まれ、皮膚に刺さってゆく。紅い滴が、達哉の体から幾筋も流れ始める。だがそのことは達哉にとって苦痛ではなかった。腰が満足に動かせないことが苦痛だった。もっと貪りたい、もっと貫きたい。藍華に溺れたい、すべてを捧げたい。
「いい、いいわ‥‥もっと出して、ぶちまけて‥‥。ふふ、ふふふっ、動けないの? じゃあ代わりに――絞ってあげるわね‥‥ふ、ふふっ‥‥!」
「あ‥‥ぅぁ――ぐっ!? あ、ぁぁっぐぅぅうっ!! な、なんだ‥‥こ‥‥れ‥‥!!」
 じゅる、ずるり‥‥ぐしゅる、ずぢゅぅ‥‥!
 何度も白濁液を吐き出したそれに、強烈な刺激がまとわりつく。蔓だ。あるいは肉洞の奥から、あるいは周囲の肉襞から、無数の蔓が絡みつく。ただでさえ媚肉が男根にまとわりつき淫らに締め上げているというのに、さらに極細の蔓がペニス全体を飲み込み、嬲る。ピストンなど必要ではなかった。そこに捕らわれているだけで、こらえようもない快楽の沼に引きずり込まれてゆく。――そして、またしても命を差し出してゆく。
「が‥‥ぁ‥‥あ‥‥い‥‥か‥‥さ‥‥」
 魔性の肉体に覆い被さったまま目を見開き、がくがくと震えて。人外の快楽に耐えられるはずなどなかった。崩壊が‥‥既に始まっていた。

* * *

 夕闇があたりを包んでゆく。だが、達哉はそれに気づくこともできなかった。
「あぁ、いいわ‥‥あん、あぁん‥‥! ほら、もっと揉んで‥‥私の胸、揉みしだいて‥‥あはぁっ!」
 うわずった声で悶え、薔薇のベッドの上で腰を振るのは化生の美女。男にまたがり、その腕をとって豊満な乳房に押しつける。だが、その男からは生気が失われつつあった。顔は土気色になり、呼吸も乱れている。それでも、女の腰が上下する際に覗く剛直はいささかも固さを失っていない。無数の触手に喰われながらも妖女の凶暴な秘部をかき分け、貫く。そして引き抜かれるたびに、たっぷりと注ぎ込まれた精液と溢れる愛液が絡まり合い、こぼれる。二人の股をつたい、薔薇のベッドに落ちる。葉の端から、白い滴がぽたりぽたりと地面を潤す。夜風に吹かれ、薔薇の花びらがはらはらと舞う。それは美しくもグロテスクな光景だった。
「あいか‥‥さん‥‥くる‥‥し‥‥」
 とぎれとぎれに、かすれた声を必死に絞り出す。
「まだよ、まだ‥‥。もう少しよ、最後は頑張りなさい‥‥ほら、こうすれば‥‥!」
 ――ずぶり――ぶずり――!
「――っ!!!」
 数本の蔓が、前触れもなく体に突き刺さった。首筋、胸、脇腹、太もも‥‥。そしてその蔓は、それぞれに蠕動するようにうごめく。まるで何かを注入するかのように――。
「ひぎ‥‥ぃっ‥‥あ‥‥がっ‥‥たす‥‥け‥‥ぁああっ!!」
 全身が不規則に震える。肌が紅潮する。顔色は不自然に血色を取り戻し、苦悶に引きつる。そしてそれを思いやるそぶりなど全く見せずに――藍華は、甥のすべてを奪いにかかった。蔓を、肉襞を、腰を、全力でうねらせ――
「あああっ!! すごい、すご‥‥い‥‥!! お、奥まで、あぁ、当たって‥‥る‥‥!! いい、いいわ、最‥‥高‥‥っ!! ねぇ、は、早く、ぶちまけて、ぁ、ぁぁあ、っ‥‥!! ぜ、全部、出して‥‥わ、私が、食べ‥‥尽くして‥‥あぁぁっ、あげ、る‥‥からぁっ‥‥!!」
 前後左右に腰を振りたくる。淫猥な音を愛蜜とともにまき散らし、快楽に溺れ熔けきった顔をのけぞらせる。張り詰めた乳房がゆさゆさと揺れ、深紅の髪が月光に輝く。数え切れないほどの蔓が、達哉に、彼女自身に絡みつく。その狂乱が最高潮に達し――

「ぐぅうう――あ゙あぁぁぁぁぁっっ!!!!」
 ブシュウゥゥウウッ!!! ドクンッ、ドクンッ、ドクン、ドクン、ドク‥‥ン‥‥。
「あくぁぁあああああっ!! すご‥‥いぃいいっ!! っく、っくううぅうううっ!!!」

 咆吼。そして――生命の最後の火花。何度も放ったとは思えないほどの、膨大な量の精液が激流となって藍華の中へと吹き上げる。
「ああ、あぁっはあぁぁっ!! なんて‥‥量‥‥!! おいしい‥‥狂いそう‥‥っ!!」
 膣内に収まりきらないほどの液を受け、藍華は絶頂に達し続けた。嬌声を上げ続け、腰をがくがくと痙攣させる。無数の蔓が快楽に暴れ回り、達哉の体を締め上げる。鋭い棘がその皮膚を無情に裂き、それでも止まらない蔓が次々に肉体に突き刺さり、潜り込み、引き裂いてゆく。血を、生気を、命を吸い上げてゆく。――肉体が、肉体でなくなってゆく。蔓の突き刺さった箇所から皮膚がひび割れ、灰色に変わり、崩れてゆく。手が崩れ、足が崩れ、灰と散る。

 ――なんだ‥‥暗い‥‥夜か‥‥月が‥‥でてる‥‥。‥‥? 誰だよ‥‥俺の上に乗ってるの‥‥。‥‥伯母さん‥‥? ああ、そうか‥‥伯父さんが出てる間に‥‥ふふ‥‥最高だ‥‥。でも‥‥悪いなあ‥‥ごめん、伯父さん‥‥。
 ああ‥‥気持ちいい‥‥藍華さん‥‥きれいだ‥‥。‥‥はあ‥‥ごめん‥‥先に‥‥寝るよ‥‥。

「はぁぁ‥‥ああ‥‥気持ち‥‥よかった‥‥。‥‥達哉‥‥」
 犠牲者の体をゆっくりと抱き起こし、妖花は唇を軽く重ねる。人間のものではなくなった手で、男の体を抱きしめ‥‥一瞬の抱擁のあと、達哉の体は崩れ去った。
 ――風が吹いた。塵が舞い、花びらが舞った。一粒の滴が、落ちた。

* * * * *

 郊外に、屋敷があった。以前は医師が住んでいたというが、もう無人になって久しい。完全にうち捨てられているらしく、すっかり荒れ果てている。その前に、二つのミニバイクが止まった。
「着いたぞ」
「‥‥これかぁ? 『出る』ってのは」
 乗っていたのは少年二人だった。高校生ぐらいだろう。さび付いた門扉を開くと、耳障りな金属音が響いた。煌々と照らす月明かりの中、伸び放題の庭木に邪魔をされつつ、生い茂る雑草を踏み分けながら二人は建物の方へと近づく。
 ――ガチャリ、きぃぃ‥‥。
 ドアは難なく開いた。鍵が掛かっていなかったところを見ると、もう誰かが何度も忍び込んでいるのだろう。
「へぇ、もっと荒れてるかと思ったら案外きれいだな」
 暗さのせいでよく見えない、というのもあるのかもしれない。だが、もっと幽霊屋敷然とした中身を想像していた二人は少々気が抜けたようだ。部屋はよく片付いており、とてもではないが廃屋とは思えなかった。
「なんつーか‥‥もうちょっと『それっぽい』かと思ったんだけど、そうでもないな」
「だからー、そんな怪談なんて信じる方が間違いなんだって。どうせあいつも噂で聞いただけだろ?」
 そう、二人は友人から「幽霊屋敷」の噂を聞いてここへ来たのだ。「郊外の廃屋で、窓に女の影が動いていた」というような、実になんとでも解釈できそうな噂だった。子供じみた武勇伝としてだろうか、二人はなんとなくそこを訪れる気になったのだが、もう少し「それらしい」感じであって欲しかった、というのが少年たちの本音だった。これではただの「無人の家」だ。
「‥‥なんかつまんねーな‥‥。どうよ、帰るか?」
「‥‥ふふ‥‥」
「なんだよ、変な声で笑うなよ」
「は? 笑うって‥‥誰が?」
 二人は不審げに顔を見合わせる。そこに、ふっと何かが匂った。
 香水だろうか、艶やかな香り。――そう、薔薇のような‥‥。

(終)

おねーちゃんよりもおっさんの方が多弁という,私としてはかなり珍しい一作。最初から筋書きを完成させて書いた,という意味でも珍しい一作かも。まぁ,ノリはいつも通りなんですが。

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