「ぐぁ、うあぁっ! ひ、っくぅああ!!」
夜空に男の悲鳴が響く。
「あ‥‥ん‥‥。ふふ‥‥もっと、もっとちょうだい‥‥」
その悲鳴の中に、低く艶やかな女の声。その妖しくも甘い声が響くと同時に、男の悲鳴は一層悲痛なものに変わる。
「た、たす‥‥け‥‥! あぎぃぃいっ!!」
荒れた声帯から絞り出される、金切り声にも近い叫び。この声を聞く者があれば、おそらく誰であれ顔をしかめるだろう。少なくとも、美女と絡み合った男が発しているとは思うまい。だが、屋外、それも住宅地の中だというのに、その声を聞きとがめる者はない。
二人が絡み合っているのは、秘め事とは無縁のはずの場――神社だ。いかなる力が働いているのかヒトの知識の及ぶところではないが、その凄惨な営みは神域に閉じられ、「外」からはその声や様子はおろか気配さえもうかがえなかった。
「くっくっ‥‥『助けて』だなんて‥‥こんなにカタくして、こんなにたくさん出して、どの顔でそんなこと言えるの? ‥‥もっと捧げなさい‥‥ほぉら‥‥」
「――が‥‥ぁ‥‥!」
男の顔を両手で抱き、淫らな響きの言葉を紡ぐ女。土気色になった男の顔が、くぐもった悲鳴とともに引きつる。その身体が不規則にビクビクと痙攣すると、女はわずかにのけぞった。
「あん‥‥っ。出てるわ‥‥あなたの命‥‥ふふふ、もう打ち止めね」
額に軽いキス。男の目は生命の光をほとんど失い、女の美貌を虚ろに映すばかりだ。その首筋にゆっくりと唇を這わせて――。
生ぬるい夜風がふっと通り抜け、干物の髪をかすかに動かした。もちろん彼女はそんなことを気にも留めず、抱きしめていた干物を無造作に捨てた。地面に落ちるとそれはくしゃりと崩れ、白い骨がからからと音を立てて転がる。鋭い脚爪がその丸い骨を押さえると、まるで卵の殻のように、真新しい髑髏(されこうべ)は粉微塵になった。
渇く。欲しくてたまらない。なのに、いくら飲んでも足りない。白く粘つく精気で蜜壺を満たしても、紅く溢れる命で喉を潤しても、渇きが癒えるのはごく短い時間に過ぎない。一日も経たず、渇く。こんな渇きはいつ以来だろう――珍しく彼女は昔を思い出した。
しかし、思い出さねばならないほどそれは昔のことではない。ずっとそうだった――はずだ。目覚めてから、ずっと。
眠っていたのは彼女の意志ではなく、不本意な経過によって眠らされていた――蜘蛛塚などという寝所に封じられていたに過ぎない。だが、それでも眠りは穏やかだった。例え周りは騒がしくとも、彼女の寝所をあえて刺激する者はいなかった。穏やかに、静かに眠っていられた。だが、その眠りは唐突に妨げられた。理由は知らない。気が付くと寝所は崩れ去り、無粋な鉄の塊が蠢いてあたりの山肌を切り崩していた。それ以来彼女は渇き続け、喰らい続けた。つい最近まで、ずっとそうだったはずだ。
軽くため息をつくと、彼女は物憂げに伸びをする。そして八本の蜘蛛の脚をざわめかせ、古びた本殿の暗がりへと溶けていった。
すうっ、と夜風。散らばっていた干物が吹き散り、骨さえも塵となって、墨を流した夜の闇へと吸い込まれてゆく。後には何も――残らなかった。
土蜘蛛神社‥‥郊外の宅地に取り残され、寂れ果てた小さな神社。そこが古き神、荒ぶる神を祀る社だと知っている者は、ベッドタウンと化したこの町にはもういない。‥‥若く平凡な一人の男を除いては。
* * * * *
「なぁ大森、最近は急がないのか?」
残業を終えた若い社員が、こちらも帰り支度の大森秋人(あきと)に訊いた。
「‥‥? まあ、別に用事もないし‥‥」
曖昧な返事。実に許し難い返事だ。彼の帰宅速度たるや、株式会社「白糸産業」きっての猛スピードとして有名だったというのに。そのかわり日中の仕事の効率も凄まじく、のんびりとしていた以前の人柄からは想像もつかない「デキる社員」として上司からも一目置かれるまでになっていた。にもかかわらず、この前の一週間の海外出張から帰ってからというもの、すっかり憑きものが落ちたかのようにのんびり社員に逆戻りである。上司は少々驚いたものの、「たまにはそういうこともあるだろう」と静観し、同僚は何となくほっとした。
「ふられたんじゃねーの?」
そう言う同僚もいた。噂に過ぎないが、秋人が急いで帰るのは恋人に会うためだという話があったからだ。だが、野次馬根性たくましい者が探りを入れても、彼が最近失恋したという証拠は掴めなかった。
「なんかに憑かれてたんじゃない?」
そう言う同僚もいた。たしかに脇目もふらずに大股で帰る秋人の姿は何か鬼気迫るものがあったが、だからといって憑きもの説を口にする者がそういう現象を本気で信じているわけでもない。だがいずれにしても、周囲の同僚達は秋人が「ただの同僚」に戻ったことを特に不満には思っていないようだった。やはりそのほうが落ち着く――あるいは、無意識のうちに何か不吉なものを感じていたのかもしれない。
* * * * *
会社を出ると、生暖かい夜風が吹いた。別段思うところがあったわけでもないのだが、ふと顔を上げると、ビル街から顔を出す満月が目に入った。春でもないのに、それは唱歌の歌詞のようにぼんやりと照り、自動車の音や繁華街のざわめきを見下ろしていた。秋人は一瞬それを見つめてはいたが、バスの時間を思い出して脚を運びはじめる。
何かが、妙だった。自宅へ帰るにはバスが一番だ。交通の便からも値段の面からも、間違いなくそれが最適だ。だが、彼の脚はそうは思っていないかのようだった。信号で立ち止まるたび、果たしてこちらでよいのかという疑問――どう考えても不自然な疑問がわき上がる。
(違う。こっちじゃない)
脚はそう言っている。
ふと、風が頬をかすめた。生ぬるく、湿った風。秋風らしからぬ性質だが、彼はそれを不思議なほど心地よく感じた。足下からはぼんやりとぼけた影が伸びる。朧月が秋人を見つめ、影法師が秋人を誘う。こっちだ、こっちへ行こう、と。
ついに秋人は根負けした。もうバス停はすぐそこに見えていたが、歩行者用信号が赤になってしまったその瞬間に、諦めて脚の行きたいところへ向かうことにしたのだ。
いつもとはまるで違う道。いや、知らない道ではない。だが、これは少なくとも会社から自宅へ帰るための道ではない――それが秋人の理解だった。
これは――いつか繁華街で食事をして、そこからどこか‥‥どこだったか、それが良く分からないのだが、どこかへ行く道だったはずだ。通ったことはある。が、その時は果たしてどの道からどの道へ至って家路に就いたのか全く覚えていない。
気が付くと繁華街からは少し遠い、住宅街らしき地区に入り込んでいた。整然と区画された道路の両脇に一定規模のこぎれいな住宅が並んでいる。よく整備された、というよりむしろ極めて事務的に区画されているため、どこを見ても似たような風景が続く。だが、秋人の脚は迷うことなく一つの進路をとっていた。そして徐々に、彼はそれを不思議とも思わず、足が赴くままに歩くことにした。
どれだけ歩いたのか、良く分からなかった。ずいぶん歩いたのだろうか、そうでもないのだろうか。朧月はあいかわらずぼやけた輪郭を見せたまま、ずいぶん高く昇っていた。
(‥‥帰りはタクシーかな‥‥)
なかなか嫌な選択肢だ。少し後悔したが、とはいえ、たまの気まぐれだ。明日の仕事にもそれほど差し支えがあるとは思わなかった。体力にはそれなりの自信があったから。
住宅街が徐々に寂れてゆき、街灯が貧弱な光を放っている。そのころになると、ようやく彼は自分がどこへ向かっているのかを理解しはじめた。――この道はよく知っている。そう、そこの角を曲がれば‥‥。
廃ビルがあった。何もかも、よく知っている廃墟。しかし、なぜここを知っているのか、なぜここへ来たのか――彼の思考にもやが掛かり、急に不明確になる。
また、夜風。その風に、秋人はぞくりと体を震わせた。何か、とてつもない何か――そんな漠然とした印象が胸にわき起こった。そして同時に、妙に懐かしい、心安らぐ何かを感じた気もした。だがそういった感覚を、恐怖や不安、あるいは懐かしさといった具体的感情として知覚できるほど、そこに留まることはできなかった。脚がまだ進みたがったからだ。ガレージのチェーンを乗り越え、なぜか鍵の開いている入り口を開いて、よく見知った屋内へと体を運ぶ。
そして、唐突に出会った。
最初、彼は何と出会ったのか一瞬理解できなかった。細身の体。しかし衣服越しにたっぷりと量感を示す胸と腰が、明らかに女性であることを示していた。不意に月が明るさを増し、その姿をいくらかはっきりと照らした。闇の中ではほとんど見えない、だが月光に照らされることで目に見える漆黒の髪。透き通るように白い肌、深く鋭い瞳、真っ赤な唇。空恐ろしいまでの美女――だが、秋人はそれが何か人間ではないような、不思議な違和感を感じた。しかし――
「ずいぶん久しぶりね」
低く、艶のある声。その声を聞いた瞬間、秋人はすべてを思い出した。
「ごめん‥‥しばらくどうしても逢いに来られなくて」
「そう」
カツン、カツンとヒールの音を響かせて、女は秋人に近づく。濃密な色香が鼻をくすぐり、そしてその白い指先が秋人の首筋に触れた。
「‥‥遠いところへ行っていたのね‥‥」
彼の首筋にある二つの傷跡をいとおしげに撫でると、彼女はそう呟いた。
「私のもとから逃げようとしたのかしら‥‥?」
上目遣いに、いくぶん挑発と嘲りを載せて、女は喉で嗤う。そして驚くほど、秋人の顔色と言葉が変わった。
「そ、そうじゃないんだ、つまらない仕事で、海外に――」
「ふぅん‥‥そう、まあいいわ」
暖かみを感じさせない笑み――むしろその半分は怒りなのかもしれない。
「逢いに来てくれない間‥‥つまらなかったわ‥‥。どれだけ食べても、飲んでも、全然楽しめなかった‥‥」
両腕をするりと首に絡ませて、彼女が耳元で囁く。
「その埋め合わせ、して‥‥」
女がそう言った瞬間、秋人は唇を重ねた。しっとりと柔らかい唇をついばみ、舐め、そして舌を差し込み、絡ませて。そう、二人の間はいつもこれで始まった。廃屋の中で淫らな音が響くのも気にせず、互いに赤い舌を絡み合わせ、粘膜を擦りあわせ、唾液を送り合う。秋人が女の歯列をなぞり、鋭く尖った犬歯の裏側を愛撫してやると、女は秋人の口蓋を丁寧に舐め上げる。そして柔らかくぬめる粘膜を絡ませながら、二人は徐々に興奮を高めてゆく。鼻から抜ける吐息は互いに荒くなり、抱きしめ合う力も強くなる。唇を密着させたまま、互いに強く抱きしめ合い――秋人は不意に、体が持ち上がるのを感じた。普通、男が女に持ち上げられることなどまずないだろうが、秋人は慣れていた。そうされるのが当然であるかのように体を委ね、そしてその間も休みなく口づけを続ける。
ぶちぶちと繊維がちぎれる音。ばさり、と布が落ちた。視線を足下へ向けると、女のスカートが裂け、布きれとなって落ちていた。いつものことだ。
女が器用に体を支えてくれるのを完全に信じて、密着していた上半身を少しだけ離す。そして女の服のボタンを外して、服を下に落とす。白磁のような肌が顕わになり、その先端の美しい突起がツンと突き出ていた。秋人がそれに見とれていると、女は微笑を浮かべて長い脚爪を男の襟元へと伸ばし、そして股下まで一気に引き裂くと――早くも臨戦態勢になった男根が勢いよく飛び出した。
「ふふ‥‥いつ見ても立派だわ‥‥楽しませて‥‥」
血のように赤い唇が睦言を囁く。秋人はほっそりとした首を抱き寄せ、そして耳朶を軽く噛んでやる。甘い、吐息。
前戯など、お互いに要りそうになかった。男はすっかり硬く張りつめ、女はしとどに濡れそぼっていた。淫らな花びらが物欲しげにひくひくと身をよじり、溢れる淫液が茂みとその下に続く毛に覆われた大きな異形の体を湿らせている。それでも彼女は男を焦らす。硬く上方を向いているそれの裏筋を、脚の一本で軽くなぞりあげた。ビクン、と跳ねる肉棒と男の身体。その反応にすぅっと目を細め、彼女はその行為を繰り返す。上半身を抱きしめたまま秋人は思わず喘ぎを漏らし、それが一層苛烈な焦らしと愛撫になって返ってくる。
硬く凶悪な爪先が繊細に責め上げ、その先端が鈴口に達し、入り口を軽くつつく。そして――
「くっ、うぁ‥‥っ!」
その鋭い爪先が鈴口にほんのわずかに刺さった。しかし粘膜を傷つけることもなく、それは引き抜かれる。そしてまたゆっくりとペニスをさすり、丁寧に苛む。その間も彼女のみずみずしい唇は男の唇と重なり、ついばみ合っている。張りのある大きな乳房を秋人の胸板にこすりつけ、その乳首が触れあうたびに気だるげな喘ぎを漏らす。
「ねえ、秋人‥‥入れたい?」
子供をあやすかのような口調で、彼女は囁いた。はち切れんばかりに張りつめた亀頭からは透明な液体がにじみ、たらたらと溢れている。秋人の代わりに返事をしているようなものだが、それでも彼女はわざわざ訊き――秋人はうなずいた。
「ふふ‥‥いいわ、来て‥‥」
彼女の言葉に、秋人は右腕を女の首に絡ませたまま左手で肉棒を掴み、もうぐっしょりと濡れている秘部にそれをあてがった。半ば宙吊りの体勢だが、慣れたものだ。熱い亀頭が触れたのを感じると、女は脚を器用に操って男の体を抱え込み――
ずぶ‥‥ずぶり。
「ああっ‥‥あはぁ‥‥っ!!」
逞しい肉槍が突き刺さると同時に、がくりと体勢を崩しかけた。眉根を寄せ、先ほどまでとはうってかわって切なげな表情を浮かべる。
秋人は女の唇を軽くついばむと、腰をぐいっと押しつける。――溢れる嬌声、喘ぎ。胸板で見事な乳房を押しつぶし、細い腰を抱きすくめ、そして腰をぐいぐいと押し上げる。隆々としたペニスが女の欲望の煮詰まったところを串刺しにし、肉襞の一つ一つが吸い付くように絡みついてくるのを味わいながら奥底を撃ち抜く。
「はあっ、ああっ! っく、はぁ‥‥んむぅっ! んんっ、んうぅっ!!」
抱きつくような姿勢ゆえストロークは短いが、それでもしっかりと奥を突き上げるピストン。眉間にしわを寄せて悶え、そしてその悶え声はキスで封じられる。くぐもった喘ぎが漏れ、赤く彩られた爪が秋人の背中に食い込む。
「うぅっ‥‥! うああっ、っくぅう!」
秋人が苦悶の喘ぎをあげる。じっとりと脂汗を浮かべて――それは苦痛ではなく、快楽の責め苦だ。
「もっと、もっと、ああ、もっとよ秋人‥‥! 深く突いて、そうよ、ああ‥‥!!」
不格好に腰を前後させる情人にあわせて、女はゆっくりと腰をくねらせる。ただでさえ信じがたいほどの動きを見せる膣肉に、腰の動きが一層磨きをかける。亀頭、茎、根元の三箇所で巧みに締め上げ、絞り上げる――そしてそれぞれにしごき、絡みつく媚肉。硬く逞しい肉槍が熱くたぎる淫液で煮詰められ、脳と直結するかのような刺激を受けてビクンビクンと跳ね上がる。
「はぁん‥‥っ! ふふ、ビクビク‥‥してるわ‥‥。くくっ‥‥イきたい‥‥?」
「も、もう‥‥俺‥‥!!」
必死に堪えながら何とか答える。その健気な答えに嗜虐的な笑みを見せて、
「あぁ‥‥ん‥‥! そう、イきたいの‥‥? いいわ、でも‥‥っく、はぁっ‥‥私をイかせてからよ‥‥ふふふ‥‥」
残酷な言葉。彼女を相手に射精をこらえつつ、秋人は必死に腰を動かす。蜜のあふれる肉襞をかき分け、奥を突き上げる。女の余裕の笑みが徐々に崩れ、呼吸が徐々に浅くなり――
「んはぁっ‥‥はぁうっ‥‥ああっ!」
ついに鋭い喘ぎを漏らし、そしてそこからは一気に加速するように彼女は悶えはじめる。身体を支えている脚もぴくぴくと震えだし、卑猥な言葉を漏らす唇からぽたりぽたりと唾液がこぼれた。
「ああっ、そう、そうよ‥‥! あ、はぁっ!! うまいわ‥‥秋人、いい、そこ‥‥!!」
男を焦らすために手加減していたらしい膣内の動きも、燃え上がる彼女にあわせて激しくなる。秋人は汗だくになりながらも気力を振り絞って射精をこらえ、女の声が大きくなるポイントを正確に突く。
「――ああ、ああぁあっ!! っく――あぅうっ!! いっ‥‥くぅ‥‥!!!」
男の背中を強く抱きしめ、その肩にあごを乗せ、すがりつくようにして彼女は達した。わずかに遅れて、秋人もくぐもった呻きを漏らし、身体を震わせる。しっとりと汗ばむ女の肌に、黒くつややかな髪が幾筋かまとわりついている。ひく、ひくっと身体をわななかせながら紅い唇を秋人の唇に重ね、音を立てずに軽い口づけを交わすと、彼女はようやく深い息をついた。
「はぁあ‥‥っ‥‥良かった‥‥。ふふ、いっぱい流れ込んでくるわ‥‥あなたの精気‥‥おいしい‥‥」
うっとりと甘い微笑。妖しく美しい顔立ちが、不思議なほどに可憐な笑みを浮かべた。しなやかな腕を秋人の背中に回し、柔らかい肌をすり寄せて。硬い二本の脚爪で秋人の腰をぐっと抱き、涎を垂らす秘肉で繋がったまま、彼女は何度も唇を重ねる。
「‥‥んぅっ‥‥」
鋭い、小さな喘ぎ。眉根を寄せて、艶やかな唇からくぐもった吐息が漏れた。
「‥‥もっと、もっとしよう‥‥。俺の精気、もっと食べてくれ‥‥」
自分の身体を抱きしめる力が強まったのを感じながら、秋人は腰を動かした。
「んん‥‥っ。うれしいわ‥‥ねえ、こっちでしましょう‥‥」
女は腕と二本の脚で秋人を抱えたまま、六本の脚をざわめかせて奥へと移動しはじめた。月の光がそこを照らす。見えるか見えないかといった程度の太さの、無数の透明の糸が縦横に張り巡らされていた。天井へ、床へ、柱へ。糸のつなぎ目が水晶のような輝きを浮かべ、繋がり合った男女を待っている。天井から吊されたその多角形の大きな網に脚を掛けると、彼女はそこへするすると上った。そして秋人を静かに下ろすと、
「秋人‥‥来て。ここで抱いて‥‥」
底知れぬほど甘い声。そしておもむろに、女は銀糸の床に横たわった。丸く大きな下半身が網のベッドを大きくたゆませ、八本の脚と二本の腕を広げて秋人を待つ。青白い光が、その妖しくも美しい化生の肢体を照らし出した。――ひくり、ひくりと息づく巨大な蜘蛛の下半身。ほっそりとして、それでいて肉感的な美女の上半身。そして、異形の身体の継ぎ目に、淫らな蜜をいっぱいに湛えた肉の裂け目。――「それ」を形容するに、「怪物」あるいは「化け物」といった言葉以外を思い浮かべる者はそう多くはなかろう。顔立ちがどれほど艶やかであろうと、豊かな乳房がどれほど淫らであろうと、やはり「それ」は恐ろしく、おぞましい――そう感じることだろう。だが、彼はそうではなかった。
秋人は網のベッドに横たわる女妖を見つめる。澄んだ瞳、紅い唇、ほっそりとした首筋。華奢な身体には不釣り合いなほど大きく美しい肉の双丘、ぐっとくびれた細い腰。妖しく誘う花弁、そして密生する剛毛に覆われた蜘蛛の体。八本の脚の根元には秘肉から溢れ出た液体が光り、大きな体の端には、このベッドを紡いだ突起が息づいている。
「‥‥きれいだ‥‥」
醜怪なはずの存在を目の前に、秋人は嘆息した。そのつぶやきに女が口元をほころばせると同時に、彼はその化け物――秋人にとっては女神にも等しい女に覆い被さった。
月は既に西へと傾きかけているが、相変わらず薄く霞んでいた。一見すると破れて開け放たれたように見える窓――見えないほど細く透明な糸でふさがれたその空間から、がらんとした室内へと柔らかな月明かりが差し込み、照らす。
薄暗い室内で絡み合う、二人。蜘蛛女の上にのしかかり、腰を振る男。糸で編み上げられたベッドが反動で揺れ、それが一層、二人の快楽を増幅してゆく。
「あんっ、はぁんっ、あ、あっ‥‥! いいわ、いい‥‥すごく‥‥っ!」
艶めかしい声をうわずらせ、化生の女は悦びにむせぶ。両手は男の首をしっかりと抱き、八本の脚がその体を抱え込む。わずかな快楽も逃すまいと必死に絡みつき、硬い外骨格も柔らかい肌も秋人に密着させ、彼女は悶え狂う。並外れた大きさの男根が秘裂に根元まで埋め込まれるたびに、湿った蜜音と感極まった媚声が響き渡る。
「あぁあっ、‥‥あぁうっ!! い‥‥く‥‥っ、――イくぅっ!!」
短くとぎれとぎれに女が叫び、そして歓喜の声を上げ、腰を高く突き上げた。反動で網が上下にゆさゆさと揺れる。硬い脚が秋人の体を力強く抱き、そのままビクビクと小刻みに痙攣する。だが秋人は止まらない。のけぞる首筋、咽び、よがり泣く唇に熱いキス。細長い脚に抱え込まれながらも腰の動きを加速させ、淫らなダンスを踊る乳房を鷲づかみにする。頂点に達した嬌声がますます激しく、絶叫を越えてすすり泣きになったかと見えた頃――不意に、男が震えた。がくんがくん、と腕と腰を振るわせ、そして女の胸に倒れ込む――。
* * *
「‥‥くは‥‥っ、はぁっ、はぁっ‥‥」
「あぁ‥‥はぁっ‥‥」
荒い息をつきながら、二人は見つめ合っていた。
「んぅっ‥‥良かった‥‥やっぱり他の奴らとは全然違う‥‥。でも足りない‥‥来てくれなかった間の埋め合わせには、まだまだ‥‥足りないの‥‥」
そこまで言うと、女は秋人の首筋に唇を這わせる。まだ落ち着かない吐息の中に妖しい微笑を浮かべると、二つ並んだ小さなあざに尖った犬歯を軽くあてがい――
「うん‥‥分かってる。俺が二度と忘れないように‥‥――っ」
秋人の言葉を確かめるまでもなく、牙が肌に潜り込んだ。ほんの少し溢れた血液が、首筋にとろりと紅い線を描く。秋人は声を上げることもなく、女が唇を離すのを待つ。傷口から熱が全身へ広がってゆく――その感触を心地よいと感じてしまうことが、既に彼がまともな人間ではなくなっていることをありありと示していた。
「んっ‥‥」
――つぷり。首筋から牙がゆっくりと引き抜かれると、新たになった二つの傷口に透明な滴が光った。
秋人が震えた。両腕で女妖の肩をしっかりと掴み、網のベッドに強く押しつける。萎えもせずに彼女を貫いていたペニスは、さらに力強く反り返りはじめている。
「ぁ‥‥っ、んふふ、効いてきた?」
どろりと暗い光を湛えた瞳にたぎる欲望を滲ませ、女が囁いた。
「っく、はぁっ‥‥熱い‥‥。もっと食べてくれ‥‥俺を‥‥もっと、もっと‥‥!」
顔を上気させ淫らな視線を互いに交わしていたが、もう限界のようだ。秋人は肉欲――いや、もっと他の感情かもしれない――その激情のままに、腰を叩きつけた。
「――んはぁぁあっ! 深‥‥い‥‥っ、あぁっ、あぁあ‥‥っ!!」
狂おしい嬌声、荒い吐息、粘つく音‥‥。絡み合う二人を、いつの間にか冴え渡った満月が見つめていた。
* * * * *
「あれっ、大森は‥‥」
「秋人か? さっさと帰ったよ」
渡す物でもあったのか、秋人を捜していたらしい社員はその応えに顔をゆがめた。
「は、早ぇ‥‥。ったく、加速装置でも付いてんのかあいつは」
「かもな。出張から帰った後は割とまともだったんだけど‥‥最近はまた特急退社野郎だな。――っと、それ、渡すんだったら預かっとこうか?」
そんなやりとりを知るはずもなく、当人はいそいそと夜道を歩いていた。風はまだ冷たいが、街中だというのにどこからか梅の香を運んでくる。
今夜は新月。だが、星も街灯もいらない。明かりなどなくとも、秋人の脚に迷いなど微塵もない。ただ一心に、思い人のもとへ――彼が仕える、美しき祟り神のもとへと。
(終)
蜘蛛シリーズ4作目。これでいったん締め‥‥かな? 分かりませんが。
たいして長くもない割に,完成までに異常に時間が掛かりました。すいません。